肉を焼く音と立ち上る煙、騒がしい友の声、隣から靡いてきた煙草の臭い。
下手くそな笑いはやめろ
「謙也食べへんの?」
隣の席に居た友達に名前を呼ばれて、謙也はビクリと顔を上げ半笑いを浮かべる。
「すまん、考え事してた」
「あんまりボケッとしてると、目の前の奴らに網の上の肉取られてしまうで」
ケラリとからかいながら、網の上で美味しそうに焼かれていたカルビを一枚謙也の取り皿に置いた。
今日はクラスメイト四人で近所で美味しいと評判の焼肉店に来ていた。
食べ盛りの中学生は肉ばかりを大量注文して、次々と網の上へ不規則に並べていく。肉の油が網の下にある焜炉に落ちてジュッと火の勢いが増した。
まだ赤色が残っている内に小皿に張った焼肉のタレや塩ダレにつけて食べていく。
「おおきに」
謙也は自分の取り皿に置かれた肉を見て息を小さく吐くと、白ゴマが混じった濃い茶色の液体にそれをつけて口に運んだ。
タレの甘辛い味と肉の濃厚な油っぽさが口の中に広がり、思わずグラスを掴み烏龍茶で喉奥に流し込んだ。
決して、謙也は焼肉が嫌いではない。寧ろ好きな方だ。
だから先日友達から『今度皆で焼肉食べに行こうぜ』と誘われた時に即OKした。食欲は人並みにある方だし、早食いでもある。
現にまだ満腹中枢には達していない。
何故、箸が進まないのか。
原因は二つある。
一つはクラスメイトとは反対側、すぐ隣のテーブルから漂ってくる煙草の紫煙だった。
焼肉屋だから空調設備は整っているが、いかんせん隣の苦い煙たさは謙也の席まで届いてしまい勘弁ならなかった。
わざと咳払いしたものの、向こうはカップルで楽しげに話し込んでいるらしく全く効果がない。
そしてもう一つ、気掛かりなコトがあった。
「白石も来れば良かったのになぁ」
「アイツ見かけによらずよう食べるしな。都合悪い言われたからしゃーないやろ」
クラスメイトが何気なく話した内容に、耳がピクリと反応してしまう。
この場には白石が居ない。
最初に都合を聞いた時は出席予定だったが、前日になって用事が出来たらしく欠席になった。
「謙也も寂しがっとるになぁ」
「痛いわ」
隣の彼がニヤニヤしながら片肘で身体を小突いてきたので、大きく振り払った。
「もしかしたら、女子とデートかもしれへんで。一昨日アイツが告白されてんの見たしなぁ」
「俺は昨日見た。あー…あんな顔に生まれたかったわ」
「俺も、俺も」
他愛のない会話を耳の左から右へと聞き流しながら、先程話題に出て来た白石の事ばかり考えていた。
イケメンでスポーツ万能。勉強が出来てテストの成績も毎回上位をキープしており、まさしく文武両道だ。
変な趣味と性格さえ直せば更に完璧だが、彼の個性だから味付けみたいなもので仕方ないだろう。
テニスと趣味の毒草について話している時が一番生き生きしている。
そんな彼が女の子とデート。
白石は優しいから女の子を完璧にリードしているだろう。
楽しく語り合ったり手を繋ぎ並んで歩いていたり…、もしかしたら『もっと先の行為』を行っているかもしれない。
「謙也?」
美味しそうに焼けた肉に箸を伸ばさず顔を沈めているので、真向かいにいる彼が心配そうに話し掛けてきた。
「俺、帰るわ」
「嘘やろ、やっと一時間経ったばっかりやんか」
友達がズボンのポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。その隙に謙也は鞄から財布を出してテーブルの上に千円札を二枚置いた。
「すまん、コレだけ置いとくから」
そう口にして、鞄を持ち席から立ち上がった。
「ほんまか?気ぃつけて帰れよ」
「白石に会ったら宜しく言っといてな」
彼を見上げて友達が軽く挨拶をした。
「おん」
焼肉店から急ぎ足で出て行った。
漆黒の夜に満ちた街並みは人工の光を散りばめて明るく照らしている。これから居酒屋へ行くだろうサラリーマンや、友達連れの若い女性の網目を駆け抜けて駅に向かった。
改札口を抜けてプラットホームに出る。
頭上にある電子時刻板に視線を上げ、電車がまだ来ない苛立ちから焦れったくて地団駄を踏んだ。
謙也は白石の事が好きだった。
親友だからという根本があるが、最近は彼の視線が気になったり彼に肌を触れられたりするだけで動揺してしまう。
親友という関係以上に彼を好きだと、そう気づき始めていた。
但、認めたくない気持ちもあった。
気付いたとしても二度と叶わないし、告げた時点で彼が目の前から居なくなる様な気がしていた。
やがて、遠くの方から電車が光を放ちながら近付いてきた。定位置で止まり自動ドアが開いて彼は乗り込んだ。
電車が出発して窓に映る夜景が流れていく。
「………」
目指す先は白石が居る場所。
早く彼に会いたい。
会って、話して、笑い合って。
この締め付け続ける心の痛みを消し去りたい。
白石宅に着くと家の中が真っ暗闇で人の気配がしない。外見から判断する限り、家族で出かけているかもしれない。
「ケイタイに連絡すれば良かったかもなぁ」
彼の顔を見るだけでも良いのに。
一人で玄関先にポツンと立ち尽くしているとリビングに明かりが付けられた。外まで漏れてくる室内灯に胸を撫で下ろした。
同時に、それは本当に白石なのか不安になってきた。家族の内の誰かかもしれない、もしかしたら長男は出かけたのだろう。
女の子と一緒に。
震える指先で玄関のチャイムを鳴らした。
中からパタパタとスリッパの足音が近付いてきてドアが開かれた。
「あれ、謙也。焼肉食べに行ったんちゃうの?」
「…自分こそ何で家に居るんや」
ドアを開けたのは首からタオルをかけた白石だった。銀色の髪が乱れており、Tシャツに半ズボンを着ている姿から風呂上がりだと予想される。
「とりあえず家に入れ。今、俺以外居らんから」
「家真っ暗闇だったのは…」
「風呂入っとる時に電気つけっぱなしなんて無駄な電力消費やろ」
「そやな」
白石に促されて謙也は家の中に入った。
靴からスリッパに履き代えて、風呂上がりの彼の後を追って階段を上がって行く。
「通販で小遣い使うてしもうて、オカンに来月分先払いしてお願いしようかと思ったけど。やっぱ無理やったわ」
「ハハッ、エクスタシー侍なのに無駄遣いしたんのか?」
「無駄遣いやないわ。大切なものや」
苦笑混じりに否定した。
自室のドアを開けて電気をつけると、そこには彼の性格を表した整理整頓された、一切服やゴミ等を散らかしてない空間が広がっていた。
「あ、猫は?」
彼が飼っている白い猫を思い出して辺りを見渡した。
「アイツ気まぐれやからな、気分次第で来るやろ。せや、謙也」
「ん?」
謙也は床にペタンと腰をつけて白石を見上げた。彼のすぐ隣に座り問い掛けてくる。
「早く終わったんか?まだ一時間半ぐらいしか経ってへんで」
「あ…まぁ」
言い辛そうに口篭った。
理由なんてとても告げられそうにない。
無意識に視線を反らせば、傍でクスリと柔らかく微笑まれた。
「それに」
「!」
突然、謙也の首筋に顔を寄せてきた。白石の吐息が首筋の皮膚に当たって胸の鼓動が一気に跳ね上がった。
「謙也からええ匂いしとる」
「近、い」
熱を感じて身体を反らすが、また擦り寄ってくるので離れない。
彼のシャンプーの匂いが強く香った。
「美味しそうやな」
彼の言葉が媚薬になり身体の芯が痺れた。
謙也は頬を薄紅に染めて、自分の匂いを嗅いでいる白石を睨み付けた。
「白石っ…やめろや」
「すまんすまん、堪忍な」
明らかに動揺している彼が可笑しかったらしく顔を綻ばせた。
「それで、何で俺の家に来たんや」
「白石が一人で寂しいと思うてな」
「俺が家に一人で居るって知らんかったやろ?ほんまの理由は何やねん」
出任せの理由は通じない。
白石に首を傾げられて、謙也は降参だと言わんばかりに深く息を吐いた。
「…敵わへんなぁ、ほんまは女の子とデートしとるか気になって」
「はぁ?」
意味が分からないと、頭上にある疑問符を沢山増やした。
「別に自分が誰とデートしてようが関係あらへんけど、徒どんな人とデートしとるかなって」
謙也は顔を沈めて言葉を続けた。
「白石がええなって思ったなら何も言わんけどな。…ハハッ、可笑しいやろ」
口を無理矢理引き攣らせて空笑いをした。
笑わなければ勘繰られてしまう。チクチクと突き刺す程に痛み続ける想いが。
「何やねん、その顔」
白石が訝しげに彼を一心に見つめ続ける。
「無理矢理笑ってごまかさんでもええわ。俺がデートしとるだけで嫌なんやろ。顔に出とるで」
「すまっ」
彼の気分を害したと思って反射的に謝ろうとしたが、優しく背中を撫でられた。
「ええよ、俺が逆の立場でも同じ事しとるかもしれんからな」
微笑みながらそう言われて、背中を撫でられて戸惑いながら横目に彼を見た。
「何やそれ…新しい慰め方か?」
「ちゃうわ、嫉妬されて嬉しいねん」
「変な奴やな」
謙也は鼻で笑ったが、白石は拗ねたらしく唇を尖らした。
「変てなぁ…目ん玉よう開いてコレ見とき!絶対そないな事言えんようになるから」
そう口にして床から立ち上がると、彼は勉強机に向かい引き出しから何かを取り出した。
人形のカタチをしており着色されていた。
「レアもんの消しゴム見つけてな。そんで謙也にプレゼントしようと思って」
消しゴムを高々と見せ付けた後、瞳をキラキラと輝かせている本人に渡した。
「ほんまか?高かったんやろ、分割払いになるけどちゃんと払うから」
受け取ったそれを右掌に乗せて目の高さに合わせて円を描く様に回した。デザインや形が消しゴムとは思えない程細かく設計されて作られている。
謙也の喜んでいる顔に、白石は若干照れたらしくはにかんで見せた。
「プレゼントはプレゼントやから黙って貰っとき!但し、俺と恋人になれ」
「は?」
聞き捨てられない言葉を最後に吐き、消しゴムを掲げたまま口を半開きにした。
危うく掌から落としそうになる。
白石は深いため息をついて頭をかいた。
「ああ、もうちょい格好つけよう思ったのに。謙也が悪いんやで」
残念そうに呟くが相手の耳にはそれが聞こえない。信じられなくて再度聞き返した。
「えー…とコレをあげるから恋人になりなさいと」
「おん」
どうやら本当らしい。
「俺って消しゴム並か?」
「ちゃうねん!やってコレしかなかったんやから」
謙也の好きなもんは。
パソコンの画面の前で真剣に考えたのだろう。
アレでもない、コレでもない。そう悩みながら沢山のプレゼント候補の中から決めた。
女の子なんて関係なかった。
一生懸命自分の事だけを考えて、少ない小遣いから無理をしてプレゼントを買ってくれて告白してくれた。
「あとイグアナの餌とか、!?」
白石は言葉を続けようとしたが、目の前の彼が消しゴムを握り締めたまま両眼に涙を浮かべていたので口を閉じた。
「嬉しい、俺感激しとるわ」
「何やそれ。期待してもええのか」
フッと笑い、謙也の目の端から溢れている雫を親指の腹で拭った。
「…、期待してもええわ」
顔を赤く染めて頷いて見せる。
その答えに嬉しくなったのか、白石は笑顔全開で彼を強く抱きしめた。
「おおきに!」
ポキンッ。
何とも渇いた音が響いた。
謙也は怖々消しゴムを握っていた右手を開くと、首と胴体が真っ二つになっていた。
元が人形のカタチをしているので見るも無惨な状態である。
「あああああああああ」
彼の叫び声にプレゼントした本人は慌てて身体を解放した。
「おま、何、してくれたんや」
「え、俺の責任やないやろ。謙也が…」
「近づくな!しばくぞ!」
消しゴムを両手で包み込んで、自分に近付こうとしてきた彼を追い払った。
両肩を落として床にのの字を書き始めた白石に、更にショックな一言を浴びせた。
「さっきの前言撤回やからな」
思わず床から飛び上がり声を荒げた。
「それはないやろ!なぁ謙也、謙也クン、否謙也様考え直してくれませんか」
半泣きしながら土下座をされたが、謙也は冷たい視線を向けただけだった。
「…自分、ふざけてるんとちゃうか」
「ふざけてへんわ!なぁ期待させてぇな。謙也、謙也ぁあああああああ」
必死に何度も繰り返し謝られ、謙也は可笑しくなって笑い声を上げた。
「ま、今度のプレゼントに期待しとくわ」
一緒に居ると、自然と笑顔になる。
これからもずっと。
こんな風に笑えます様に。
出来れば、いつか。
自分の口で好きだと言わせて下さい。
END
素敵な企画有難う御座いました!
煙草のくだりは自分が苦手なだけです。
自分で作った下手な笑顔も、君と一緒に居るから楽しくて自然に笑顔に変わるんだ。
ということで。ではでは。
2010.8 藍桐青